Archive for the ‘村松 裕樹’ Category
フットサルがしたい
マドリードに来た理由は、公立の語学学校に入れることと、指導者学校がスペイン語で行われるということ。
そのための土台は、やっと安定した。
そして、日本食料理屋に片っ端からあたって、何とか仕事をさせてもらうこととなった。
ただ、生活費を満たせないので、アピールして日を増やすしかない。
チーム探しは難航している。
コンディションが難しいが、何とか気持ちをあげて走ってスタビをしている。
最近は不安と闘っている。
不安と闘っていても意味がない。
語学学校が来週から始まる。
チーム探しは、長い目を見ながら行い、今週中にビザの更新のための書類の準備を終わらせよう。
スペイン人によく言われたことは、「少しずつ」。
抱えすぎずに、少しずつやっていこう。
フットサルにしても、いきなり飛躍することはないんだ。
たまにフェイスブックを見たりすると、人によっては、試合で負けたことをキツク自分にあたっている。
僕は思う。
少しずつ何かが良くなっているはずだから、あまり自分を責めないでほしい。
胸を張っていればいいと思う。
きっかけ
カツヤが所属するギャングが全日で負けてしまった。
とても悔しかった。
カツヤが色々な人に感謝しているように、僕も改めて、フットサルをし始めたときからのことを思い出した。
カツヤとの思い出はいっぱいあるが、なぜか思い出したのは、大学の時、試合があるたびに、カツを食堂で食べていたことだ一緒に。
それにしても、フットサルをしだしてから、沢山の時間をカツヤと共にすごし、フットサルに関するところでは、よく喧嘩をし、くだらない遊びも沢山したもんだ。
僕今、ぴんと感謝したい点を綴ろうと思う。
やっぱり、ここに今いること、生きていることだ。
沢山のきっかけがあるが、ギャングに入るきっかけ、そこが人生を考え直すきっかけとなり、スペインに来るきっかけを、その後得た。
先ばかり見て、社会人というものを意識しすぎて、ずっと一歩踏み出せなかった。
そんなきっかけに感謝している。
今シーズン5回目のクラシコを見て
マドリッドのバルで試合を見た。
カードはバルサ×マドリ。
2-2だった。
マドリッドのバルの雰囲気もバルセロナと大体同じだ。
でもマドリッドのバルには1/3ぐらいバルサファンがいる。
バルセロナのバルではマドリッドファンは見かけなかった。
バルセロナとマドリッドの町の雰囲気。
マドリッドの方がヨーロッパにいるんだなという感じがよりする。
マドリッドは白、バルセロナは濁った色といった感じ。
マドリッドの人たちは、人当たりが良い感じがする。
バルセロナは少し違う。
とても抽象的なことばかり書いているけど、バルセロナ、カタルーニャの素晴らしさを、またこっちに来て改めて感じる。
マドリッドの素晴らしさを感じるよりも。
素晴らしい、というか僕が好き、というだけなのかもしれない。
バルセロナは、頑固というか誇りがあるというか。
以前カタルーニャ州対とどこかの試合があった。
その試合で、カタルーニャはスペインではないという弾幕があったそうだ。
そういう地域で作られてきたクラブがFCバルセロナ。

バルセロナが好きだが、住みに来たわけではないので、自分の目的のために邁進する。
オスタル生活がまだ続いているが来週からは新しい家に住むことが決まった。
語学学校も決まりそうだ。
あとは、もう一度身体を作り直して、チーム探しだ。
マドリッド協会にチームを教えてもらったが、後は飛び込んでいくしかない。
1番重要な指導者学校は、多分人が集まらないので、9月からとなりそうだ。
別れの力
バルセロナを出て、5日目ぐらい。
オスタル暮らしをしている。
少し落ち着いた。
僕は別れは悲しいと思っていた。
大概のスペイン人も悲しいと言っていた。
でもチームメイトのブラジル人は「普通だ」と言った。
確かにそうだ、と思った。
目的・目標があれば、ごく普通のことだ。
バルセロナを出る直前、チームで夕食をした。
いつも通り、くだらない女の話や下ネタで盛り上がった。
時間が来たので帰ると伝えた後、挨拶と抱擁を全員とかわした。
ありえない泣き方をしてしまった。
彼らといると無邪気で素直な自分でいれた。
だからか、色んなところで感じ貯まった別れの気持ちが、ここで全て飛び出した。
最後のバルセロナでは、沢山の人と、ご飯やフィエスタをした。
そして寄書やプレゼント。
胴上げ、抱擁、言葉。
沢山のものをいただいた。
本当に感謝をしている。
今回の別れで、改めて、より自分に厳しく強くなろうと決意をした。
今年の目標
友達を習い、今年の目標を、僕もここで宣言したいと思う。
大きく3つ!
スペイン語学校を1日も休まない。
スペイン指導者資格レベル1をとる。
自分を確立する。
去年は、自分に「なぜ」を問いかけ続け自分を砕いた。
今年も、続けて問いかけ、確立する。
1.もう少し考えて「ありがとう」「ごめん」を言う。大切な言葉
2.堂々と生きる。(良くも悪くも自分を前向きに受け止める。)
3.結果を意識した自己管理
昨日マドリッド行のバスチケットを買いに行った。
最後に「ありがとう」と言ったら「どういたしまして」と面倒くさそうに言われた。
おもしろっ普通、俺が言われる立場なのにって思ったけど、別に逆の考え方もあるかとも思った。
前友達に謝ったら「NONONO!!!問題ない」とめっちゃ強く言われた。
これくらいで謝らないでくれよっていう感じで。
日本で僕は「ありがとう」「ごめん」を日常的に言っていたような。
そして、どこか、それらの言葉を待っていることもあったような。
感謝を告げることって日常的という考え方もあり、特別という考えもあると思う。
謝罪を告げることは、日常的という考え方もあり、逆に責任感を放棄するという考えもあると思う。
僕は「ありがとう」は待つ言葉でも期待する言葉でもない、当たり前でもないと今は思っている。
でも所詮言葉だしと思う部分はあるし、でも言葉は大切とも思う。
自分なりの言葉のあり方を見つめなおしている。
